心理学者、河合隼雄先生の本です。
グリム童話をユング心理学の視点で読み解いていくんですが、これがとても興味深いんですよ。
人々の中から生まれて現在も生き続ける昔話、子供たちに語られる際は、教訓やファンタジーとして語られることが多いかと思いますが、これを無意識の心的世界の表現と見る時、私たち誰の中にもある人間の内的成熟過程を描き出したものとして読んでいくことができます。
この本では、グリム童話から 10 のお話しを、そういった視点で読み解いています。
その中の「ヘンゼルとグレーテル」について、まとめてみます。
この物語は、「母なるものからの心理的自立」を主題にしているのですが、河合先生はこう書いています。
「子どもは生まれてから母の保護を受けて育ってくるが、その間に母との接触を通じて、母なるものの原型についての体験をもつ。つまり、それは子どものすべてを受けいれ、すべてを与えてくれる母の像である。しかし、子どもは成長にともなって、その母なるものの否定的側面 — すなわち自立を阻む力 ― を認識し、それと分離しなければならない。ここに、成長の一段階として母親殺しの主題が生じる。これが、ヘンゼルとグレーテルの魔女退治なのであるが、もちろん、これは子どもの心の内界において行われることであって、実際の母親にむけられるものではない。」
この「母なるもの」とは何なんでしょう?
集合的無意識の中にあるグレートマザー(母性)には、肯定的な面と否定的な面、両面性があるといいます。
母性には「包含する」という要素がありますが、これを両極面で見てみると、、、
善母 ⇒ 抱きしめて育てる
悪母 ⇒ 抱きしめて拘束する
母は温かく抱きしめて育てる存在であると同時に、自分を束縛するものであり、そこから独立していくという、心理的成長の過程があるわけですね。
さて、お話に沿って、読み解いていきます。
“木こりのお父さん、継母(原話では実母)、ヘンゼル(兄)、グレーテル(妹)の4人暮らし。貧乏なうえに大飢饉がやってきて、家族は明日食べるものにも困っています。継母の発案で、口減らしのために、二人の子供は森の中に捨てられてしまいます。”
継母、酷いですよね。これが原話では実母なわけで、もっと酷い!そして、それに従ってしまうお父さんも酷い!
って普通なら思ってしまいますが、これまで出てきたキーワードはこのように解釈されます。
男女の幼い兄弟 ⇒ 男性性、女性性がさほど分離されていない自我
継母 ⇒ 母性の否定的な側面
父親 ⇒ 男性原理(論理的思考等)の施行者だが、貧しくて弱くてそれを過酷な母に渡してしまっている。
ここで、「貧乏・飢餓」という設定について考えてみます。
物質的な欠如性とは、「心的エネルギーの欠如」を意味していると考えられています。
人の自我は、活動する際、心理的エネルギーを必要としますが、いわゆる「スランプ」とか「上手くいかない」とか「病んでいる」状態では、そのエネルギーは自我から無意識の領域に流れてしまいます。
これを「心的エネルギーの退行」と呼びます。
退行状態に陥ると、自我はエネルギーが足りず心的活動が上手くできませんが、活動していない分刺激に敏感になり、真実をより把握できるということもできます。心的成長の機会となるわけですね。
“捨てられることを悟ったヘンゼルは、森の奥深くへ連れていかれる途中、道しるべにパンくずを撒きました。森の奥に置き去りにされ、夜になり、いざ帰ろうとすると、パンくずは全て何千もの鳥に食べられてしまって見つかりませんでした。途方に暮れ、森を彷徨っていると、雪のように真っ白な小鳥が現れ、導くように飛んでいくので、二人はその後を追いかけていきました。”
ここで、「鳥」というキーワードが現れます。
鳥は、無意識界に君臨するグレートマザーと強い結びつきがあるとされ、自己の精神そのものであり、兆でもあります。
意識界へと戻るパンくずは鳥によって全て食い尽くされ、白い鳥の出現によって、二人は無意識界へといざなわれて行くのです。
鳥 ⇒ 魂・精神(自由に飛べることからイメージを引き起こす)
⇓
突然ひらめく考え、思考の流れ、空想
⇓
無意識内に存在する心的内容が、突如として意識内に出現することによって生じる
自我が「ひらめき」を把握し、既存の意識体型と結びつける
“白い鳥に導かれ行きついた先は、お菓子の家でした。おなかをすかせたヘンゼルとグレーテルは、お菓子の家を頬張りました。すると中から優しい声が「さあ、中に入ってたんとお食べ」と呼ぶのです。二人が家の中に入ると、おばあさんがご馳走を用意してくれ、二人は夢中で食べました。しかし、そのおばあさんは、実は悪い魔女で、お菓子の家は、子供を捕まえて食べるための罠だったのです。二人は捕らわれ、兄のヘンゼルは檻の中に閉じ込められ、より肥えるように、たくさんのご馳走を与えられました。一方妹のグレーテルは、奴隷のように働かされました。”
ここで、「お菓子の家」という非常に魅力的なキーワードが出てきますね。
グレートマザーと食べ物は、深いつながりがあるそうです。ここでは家そのものがお菓子という子供にとっては夢のような甘やかされた環境です。
この悪い魔女も、初めに出てきた継母も、母なるものの否定的な側面を表現しているのですが、在り方が非常に対照的です。
魔女の お菓子の家 ⇒ 母親の過保護
継母の 森に捨てる ⇒ 母親の極端な拒否
真逆のようですが、これは子供の自立を妨げる母なるものの否定的な側面で同質なものです。
“グレーテルは泣きながら毎日働きました。ある日、魔女はもう二人を焼いて食べてしまおうと思い、パン焼き窯の火の具合を確認するようにグレーテルに命令しました。グレーテルは魔女の意図を察知し、「やり方が分からないから見本を見せて下さい」といい、魔女が窯に頭を突っ込んだ時、逆に、そのまま魔女を押し入れて、魔女を焼き殺してしまいました。”
泣いてばかりいたグレーテルが、ここで精神的に成長し、力が最高潮に達した魔女を倒すことで相互反転が起きます。
魔女 ⇒ 支配 ⇒ 自ら窯の中へ ⇒ 自己消滅 ⇒ 火によって浄化
↕ 反転
グレーテル ⇒ 従属 ⇒ 魔女を窯へ誘い込む ⇒ 支配の消滅 ⇒ 少女から窯を操作する女性に成長
母なるものの支配に打ち勝ち、自身の中の女性性が独立していくわけですね。
“魔女の消えた家の中には宝石や真珠の宝物がいっぱいありました。二人はそれをたくさん持って森へ出ました。川のところまで来ると白い鴨が現れ、二人を家まで導いてくれました。子供たちが帰ってきてお父さんは大喜び。継母はすでに死んでいました。持ち帰った宝物のおかげで、苦労は消え去り、三人は末永く楽しく暮らせました。”
家へ導く白い鴨は、母性の肯定的な側面です。
家に帰ると、魔女と同じく継母も亡くなっており、母性の否定的な側面は完全に消滅しています。
こうして「母なるものからの心理的自立」が完成するんですね。
この物語では、弱すぎるお父さんも気になりますよね・・・。
父が弱すぎるために母が男性的なものも引き受け、非常に過酷なバランスの悪い状態が起こる、とも言えるのでしょう。
これを一人の人間の中の物語と見るのなら、そのバランスの回復の物語とも見ることができるのかな、なんて思いました。
昔話や神話をこういう風に読み解いていくと、より深く味わえますね。
自分自身を見つめ直すきっかけにもなります。