The Creator

人間 vs AIというテーマはSF映画にはよくあると思いますが、その多くはAIの支配や危機に対して人間が戦うっていう構図なのではないでしょうか。ところが、この作品ではAI側の正義に重きが置かれ、「AI&AI推進派人間(ニューアジア)」 vs 「AI反対派人間(アメリカ)」の戦いが繰り広げられます。アメリカ映画なのに、アメリカ側の正義に味方していないっていうのも面白いですね。
 

監督は、『ローグ・ワン』、『GODZILLA』のギャレス・エドワーズ。2023年秋に公開された映画です。

ざっくりとしたあらすじです。

——————–
人類の発展のために作られたはずのAIがロサンゼルスで核爆発を起こして以来、アメリカと西側諸国はAIを危険視し禁止撲滅を進める一方で、ニューアジアはAIの開発を継続し共存の道を進んでいた。そのため、アメリカとニューアジアは、AIイデオロギーの違いにより熾烈な争いを繰り返していた。

アメリカは空に浮かぶ巨大戦艦「ノマド」を開発し、ニューアジアのAI開発拠点の攻撃の後ろ盾とするのに対し、ニューアジアはノマド破壊のための兵器「アルファー・オー」を開発。
アメリカ軍の特殊工作員のジョシュア(ジョン・デヴィッド・ワシントン)は、このアルファー・オーを破壊する目的で、ニューアジアに潜入。アルファー・オー開発者とされる「ニルマータ」(ネパール語で創造者)の娘、マヤから情報を引き出そうと近づき結婚する。潜入調査であったが、ジョシュアはマヤを心から愛していた。しかし、アメリカ軍の奇襲により、妊娠中のマヤが亡くなり、ジョシュアはアメリカ軍に対して、強い不信感を抱くようになる。
ジョシュアは一度ロサンゼルスへ戻ったが、亡くなったはずのマヤが実はまだ生きているとの情報を得て、2075年、マヤを見つけ出すためにアメリカ軍のAIラボ攻撃部隊に加わり、再びニューアジアを訪れる。そこで少女の姿をしたAI、アルフィーと出会い、物語は大きく動いていく・・・。
——————–

さて、このニューアジアってどこなんだろうってことですが、飛行機の中での作戦会議で示される地図を見ると、日本、台湾、東南アジア諸国、チベット辺りが含まれるようです。英語だと”Republic of New Asia”って表現されているんで、アジア諸国が集まった共和国ということなんでしょうか。多文化国家らしく、作中、日本語を含めて色んなアジアの言語が飛び交います。舞台も、メコン川周辺の田園風景、東京っぽい街、チベット風の山中の寺院と、様々に変化します。ニューアジアの「人間とAIの共存」という路線の下地に、「多文化の共存」があるのだろうということが推察されます。

こういった地図を示されると、ここに入らない中国の立ち位置ってどうなってるんだろう?なんていう疑問から始まって、他の国は?世界情勢どうなっているんだろう?とか余計なことを思ってしまうんですが。まあ、描きたいのはAIとどう生きるかっていうことだと思うので、共存VS撲滅の二構造になっているんでしょうね。リアルの世界において、価値観を押し付けてくるアメリカに対する批判も含まれているのでしょうか。日本がニューアジア側でアメリカと対峙しているっていうのが、現在の情勢からするとなかなかの驚きですね。

ジョシュアが見つけた少女の姿をしたAI、アルフィーですが、この作品は、彼女を通して今後のAIの可能性というものを私たちに訴えているのではないでしょうか。アルフィーの特徴を書き出してみれば、こんな感じです。

 1.成長する。(能力もだが身体も。初期設定は胎児。)
 2.すべての電子機器に無線で接続可能。
 3.人間を憎まない。
 4.感情・個性を持っている。

3と4に関しては、アルフィーだけじゃなくて、ニューアジアのAIはみんなその特徴を具えています。
作中、僧侶?らしきAIが、基地のある村の人間の子供たちに、人間とAIの戦いの物語を語る場面があるんですが、このAIは、人間とAIを、「二つの種」と呼んでいます。つまり、両者を対等に扱い、AIをほぼ生命体のようなものとして捉えているんです。AIは「機械」じゃなくて「種」なんですよ。
それを踏まえて、アルフィーの特徴「1.成長する」は、さらにAIを「種」化しているのだと思います。現在のAIも学習能力はあるのでしょうが、アルフィーレベルの成長を獲得し、さらに揺らぎも獲得するのなら、生命体とのボーダーラインって何なんだろうって、考えさせられます。

「2.すべての電子機器に無線で接続可能」は、人間でも超超超凄腕ハッカーなら可能なのかもしれませんが、接続のためのディバイスが必要っていう点も違いますよね。電脳化ということができるのなら、人間もディバイスなしでそうなれるのかもしれませんが、この映画を観て感じたのは、人間の電脳化よりも、AIの人間化の方が道が近いのかなということです。
何が言いたいかというと、このニューアジアという国を見て、こんな高度なAIを作っているのに、人間の庶民の暮らしって、ぜんぜんテクノロジー化してないじゃん!なんて感じる人が多いかと思うんですけど、そのギャップって、すごく重要な意味が含まれているんじゃないかと思うんです。人間が電脳化を目指す世界観でなくて、人間らしい生活に、AIが寄り添っていくっていうスタンスなんです。それは正に無理なく「二つの種が共存」していくあたたかな世界だと思いました。

登場するAIたちは、ロボットっぽい出で立ちの者もいますが、人間らしいマスクをしたAIもたくさんいます。
作品の中で、「あなたの分身を寄付しよう」という広告が流れる場面があるんですが、人間が自分の外見のデータを寄付することで、AIたちはその中から自分のマスクを作るっていう仕組みらしいです。その選択権がAIにあるのか、作った人間にあるのかは不明ですが。外見を寄付したマヤにそっくりなAIが街中に何人もいることから、流行というか、人気の外見というのもあるのかな。
渡辺謙演じるハルンも人間らしい姿のAIなんですが、カッコいい謙さんの外見をAIが選択するのは分かるんですが、中にはかなりのお年寄り型AIもいて、人が老いを否定的に受け止めがちなのに対して、わざわざそれを選ぶAIの思考回路も気になりました。人間の外見的加齢をシンプルに経験値と肯定的に捉えているのでしょうか。
ともかく、人間は相手の表情からかなりの割合の情報を汲み取ってコミュニケーションを行っているわけで、やはりAIの外見って重要なんでしょうね。

最後に、何気ない会話のようですが、心に残ったジョシュアとアルフィーの会話を書き留めておきます。

アルフィー「ロボットじゃないなら、あなたを誰が造ったの?」
ジョシュア「両親が作った」
アルフィー「今どこにいる?」
ジョシュア「Offになり天国にいる」
アルフィー「天国って?」
ジョシュア「空の安らかな場所」(空に浮かぶノマドが見える)
アルフィー「あなた天国に行く?」
ジョシュア「いや」
アルフィー「どうして?」
ジョシュア「往くのはいい人だけだから」
アルフィー「じゃあ、私もダメ。天国に往けない。あなたは悪い人。私は人じゃない」

人は神話や概念に縛られて、なかなか新しい場所へ行けないものですね。
空に浮かぶノマド(進歩したい者を縛るもの)が撃ち落される時、古い神話が打ち破られて、新たな神話が生まれる。
そういったことがこの会話から感じられて、印象的でした。

鑑賞後は、悲しくもありますが希望にも満ちた気持ちになり、とても素敵な映画でした!

カテゴリー: Film