1984年に発売された、Appleの初代MacのCMを見たことありますか?
私は学生の頃、企業分析の課題で、Apple社を選び、資料集めの過程でこの伝説的なCMに出会いました。

当時、「かっこいいCM!」とは思ったのですが、このCMのネタとなっているジョージ・オーウェルの小説『1984年』を読んだことがなかったので、ビッグ・ブラザーと言われても、一体なんのことだ??? ていうか、CMに使われるぐらいなのだから、アメリカでは一般常識的な、これ知らないと恥ずかしいぐらいなのか?と気になり、課題そっちのけで、この本を読んだのを覚えています。

先日、メディア論の本を読んでいたら、この『1984年』からの引用が載せられており、久しぶりに読み返してみました。この本を読むと、やっぱりAppleが頭に浮かんでしまうんですよね 笑

1946年に発売されたこの本。38年後の1984年の世界が舞台です。「ビッグ・ブラザー」という名の支配者が、いたるところにある「テレスクリーン」なるものを通じて、人々を監視、支配する世界。人々は疑問を持つ余地も許されず、思想も修正、矯正され、24時間注ぎ続けられるビッグ・ブラザーの視線に怯え、欲望や行動を自ら調整して生きています。

AppleのCMでは、若々しい溌剌とした女性、すなわち「Appleの化身」が、巨大なスクリーンに映し出される「ビッグ・ブラザー」を打ち壊す!という衝撃的な展開で、
「1月24日、アップルコンピュータはMacintoshを発売します。あなたは、小説『1984年』のようでない1984年を目にするでしょう」というメッセージで締めくくられます。

当時、IT界の巨人、IBMへの挑戦状のようなつもりで作られた、などと聞きますが、現在このCMを見ると、そこにはもっと大きな予告のようなものを感じます。ビッグ・ブラザーは、IBMなんていう一企業ではなく、もっと、なんというか、人々を締め付け閉じ込める社会システムのようなものであって、やはりAppleは、それを打ち壊す一端を担ったのではないか、などと思ってしまいます。

情報世界を自由に飛び回ることができるようになった今日、Appleの予告通り、ジョージ・オーウェルが想像した1984年も、彼が描いたようなビッグ・ブラザーも、本当に打ち壊されたのかもしれない。
でもですよ、同時に、Appleは別の、もっと恐ろしいビッグ・ブラザーに代わる何者かを生み出したような気がします。私たち個人個人はまるで自由であるかのように感じさせつつ、緩やかに支配する、もっと洗練された実態の見えづらい力。ホモ・エコノミクスとして、柔らかにカテゴリー分けされつつ、新たな可能性が阻まれる世界。

あからさまな眼差しと、ひそかに監視されている状況なら、どちらの方が恐ろしいのだろう?どちらの方が支配者としてすぐれているのだろう?人はどうしてそのように振る舞うのだろう?
と、『1984年』を読んで、色々考えてしまうのでした。

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