ティム・バートン、大好きです。ティム・バートン × ジョニー・デップなんて、最高ですね。
この人の映画を見ると、子供の頃にはよく見えていた別世界への扉が立ち現れ、とても懐かしい感覚に誘われます。今では見えなくなってしまった世界へ、ひと時ながら連れ出してくれる感じがします。

この映画の原作である『不思議の国のアリス』のように、少女が異次元世界を旅をして、精神的な成長を遂げる、という主題のお話は、結構ありますね。『オズの魔法使い』、『モモ』、『千と千尋の神隠し』などなど。どれも素敵なお話ですが、その中でも、私にとって、『不思議の国のアリス』は格別です。想像力も自由奔放さも、成長に伴う痛みも、そこに揺蕩う甘い空気も。

この映画の主人公アリスは、大人の女性なのですが、アリスの精神的成長をみると、このような流れになっているかと。

原作『不思議の国のアリス』→ 少女のアイデンティティの発見
映画『アリス・イン・ワンダーランド』→ 少女から大人の女への成長
映画『アリス・イン・ワンダーランド/ 時間の旅』→ 大人の女の成長

自立しているようにみえる大人の女も、困難に出会えば、成長して乗り越えなくてはなりません。この映画でのアリスの課題は、「時間(秩序)」を通して、「物事のより深い部分を理解」できるかどうか、となっています。

19世紀、女性の幸せは良い結婚という価値観の中、アリス(ミア・ワシコウスカ)は女性でありながら、世界を股にかけて航海する船のキャプテンです。「不可能を可能にする方法はただ一つ。出来ると信じること」、そう豪語する彼女。航海においてどんな困難も乗り越えてきた、自信に満ち溢れた大人の女性の言葉です。しかしながら、数年の航海を終えて、ロンドンに戻ると、状況は一転しています。自分を後押ししてくれていた聡明なアスコット卿は亡くなり、跡を継いだ理不尽なバカ息子に、キャプテンの座を追われそうになります。母にもその時代の女性らしさを求められ、アリスは状況の解決の糸口を見つけられません。そんな時、かつて訪れたことのある、ワンダーランドへ誘われます。

ワンダーランドで、アリスに突き付けられた課題は、時間(秩序)との対決。結果的に、アリスは自分の中の秩序を一度完全に崩壊させ、そして全く同じものを再生させます。散々引っ掻き回した挙げ句に、全く同じ秩序を復活させる、そこに意味はあったのか、と思いますが、そこにはより深い理解が伴われ、アリスの中の奥行きとなり、より成熟した魅力的な女性になるのです。

冒険の初めにタイムの発する台詞が印象的です。

「過去は変えることはできない。だが、そこから学ぶことはあるかもしれん」

心に響きますね。
アリスも冒険を通して、そのことを深く理解します。

精神的成長を遂げたアリスは、現実世界に戻り、家族(母)との関係を改善させ、新しい道を見つけますが、ワンダーランドでの冒険の中でも、二つの家族の物語があります。一つは、マッドハッター(ジョニー・デップ)と父との関係、もう一つは、赤の王女と白の王女の姉妹の関係。
前作「アリス・イン・ワンダーランド」では、悪いやつをやっつける、というような、アリスの理解は表面的なものでしたが、今回の冒険では、物事はもっと複雑に絡み合っていて、なぜそのような構図に見えていたのかという深い部分を理解し、時間(秩序)との対決を通して、アリスはこの二つの家族の問題を解決します。

家族というものは、社会の集団の最小単位でもあり、社会の秩序のベースでもあります。

「Who are you?(お前は誰だ?)」

『不思議の国のアリス』では、有名な台詞ですが、ここでもアリスはそれを問われるのです。
「奇想天外なアイデアさえあれば、自分の力で何でもできる」という未熟な自分から、「他の人の立場を理解できる」社会の中に生きている自分を発見するのです。

精神的な成長、それに必要なのは、自分自身の中を旅すること、より深く理解すること、そして、しっかりと現実世界へと戻ってくること。

アリスはマッドハッターに、もう会えないかもしれないと言って、現実世界に戻りますが、人はいくつになっても成長できるもの。
成長を望む限り、彼女はこの先も何度もワンダーランドを旅するのでしょう。

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