聖書の受胎告知というテーマ、神秘的ですよね。
たくさんの芸術家が扱っているテーマですが、私が一番美しいと思うのは、フィレンツェのサン・マルコ修道院に描かれたベアート・アンジェリコ(フラ・アンジェリコ)のフレスコ画です。静かな大理石の階段を上っていくと、二階の踊り場の扉の向こうに壁いっぱいにこの絵が現れます。一段、階段を上るにつれ、その姿に近づいて、受胎告知の場面に導かれるようで、崇高な雰囲気に満たされていったのを覚えています。
マリアへの受胎告知のエピソードは、『ルカの福音書』に記されています。
ナザレという町に住んでいたマリア。ヨセフと婚約をしていましたが、まだ嫁いでおらず、母親と暮らしていました。ある日、マリアの前に大天使ガブリエルが現れ、マリアが神の子を身ごもったことを告げるのです。処女である自分が身ごもるはずはないと、マリアは困惑しますが、天使の言葉に考えを巡らせ、「私は主のはしためです。お言葉通り、この身に成りますように」と、全てを受け入れるのです。
私はクリスチャンではないので、このエピソードの宗教的要素について割り引いて観てしまいますが、それでも、そこに流れる神秘性、舞い降りる天使の美しさ、寄り添う温かさ、謙譲であるマリアに心動かされます。
精霊が身体に宿り、自分の中で育ち、生み出されるということ。身体中が光で満たされるような尊さを感じます。「受胎」という言葉は、英語では「Conception」で、「受胎」以外にも「概念」という意味も含み、尊い何かが、自分の深層心理の中で育まれ、新しい形になって生まれてくる、そんなイメージにつながりますね。
抱えきれないような運命をすべて受け入れる、マリアはそういう強さの化身のように私は捉えています。その強さ、包み込むような受容力に勇気づけられるような気持になります。
受胎告知をモチーフにした作品は、本当にたくさんありますが、私が好きなものをいくつが挙げてみたいと思います。
ルネサンス時代のイタリア人画家、フィリッポ・リッピの作品です。
ボッティチェッリの師匠ですね。
ベアート・アンジェリコと同じく、フィリッポ・リッピも修道士でしたが、奔放な方だったようで、修道女と駆け落ちしたり、女性とのスキャンダルは日常茶飯事だったそうです。
女好きだった分(と言っていいのか分かりませんが)、彼の描くマリアは本当に可憐なんですよね。敬虔な修道士だったベアート・アンジェリコの描くマリアの無垢な美しさとは、対照的な優雅さがあります。
手を胸に当てて、天使の言葉を思慮している場面です。白鳩の姿の聖霊が、天からマリアの中へ舞い降りて宿ります。
チェコ出身のアルフォンス・ミュシャの作品です。アール・ヌーボーの代表的な画家で日本でも人気ですね。
これは、『百合の聖母』という名前の作品で、受胎告知だとは言っていないんですが、私は、とっても勝手ですが、このマリアは受胎告知のマリアだと思っています。(誰かに怒られそう 笑)
受胎告知のモチーフでは、大天使ガブリエルはマリアの純潔を象徴する百合の花を手にしていることが多いです。この絵では、マリアはその百合の花に囲まれ、これでもかっていうぐらい純潔を表現しているんですが、その花の中にいるマリアは、胸の前で両腕を交差させており、これは全てを受け入れている印です。1枚目のベアート・アンジェリコのマリアと同じポーズですね。
そのマリアが、少女に寄り添っている・・・そのベールで、そっと包んでいるようですね。
すべての運命を受け入れる、受胎告知のマリアの強さが、少女の中にも秘められている、そんな風に思えます。
あくまで私の解釈です!
温かみのある美しい絵ですね。
バロック時代のイタリア人画家、オラツィオ・ジェンティレスキの作品です。
光と影のコントラス、動きのある人物像、感情にあふれたドラマチックな描写ですよね。
右手を挙げたマリアは、受胎を告げる天使に問いかけをしているところだといわれています。
「どうしてそんなことがありましょうか。私は男の人を知りませんのに。」
マリアも一瞬は、なんで??と思って問いかけるんですね。そりゃそうですよね。
だけど、このあと天使の言葉に思いを巡らせて、疑問など脇に置き、運命を受け入れるんです。
天使に性別はないといわれていますが、大天使ガブリエルは女性的に描かれることが多いような気がします。ですが、この絵の大天使ガブリエルは、少年のような姿ですね。堅実にマリアに話しかける横顔が、印象的で美しく、私の好きな天使です。
これはちょっとオリエンタルな感じで面白いですね。
20世紀初頭、イギリスで活躍したフランス人押絵画家、エドマンド・デュラックの作品です。
まだまだ好きな作品がいっぱいあるのですが、今日はこの辺で。
よく考えたら、受胎告知はカトリックだと3月25日ですね。季節外れでした。
その頃にまたお気に入りを集めてみたいと思います。