「陽明学 生き方の極意」(守屋 洋著)を読みました。陽明学の入門書です。

お恥ずかしながら、陽明学の名前は聞いたことあるものの、内容を全く知らず、「陽」という漢字から、勝手に陰陽道的な何かなのか、と思っていたのですが・・・ 陽明学って儒教なのですね。16世紀、朱子学に異を唱えた王陽明。彼の人生は波瀾万丈で、科挙に何度も落第したり、政治闘争ですごい田舎に左遷されたり、殺されそうになったり、病気の中反乱制圧で前線へ向かったり、度重なる挫折を乗り越える中、非常に意識の高い実践的な思想、陽明学を起こしました。

陽明学の基本思想の覚書です。

<その一 心即理>

陽明学に流れる「心即理」というテーゼ。「心が即ち理である」ということですが、まず、「心」とは何か、「理」とは何か、ということですよね。
当時、中国では、朱子学が支配的なイデオロギーだったのですが、朱子学ではこうなっています。

: 万物が万物として成り立っている根本の原理

一方、「心」は二つに分けられます。

: 天から賦与された純粋な善性
: 感情、心の動き(人欲も含む)

朱子学では、「性」にのみ「理」を認め、「情」はコントロールして克服されねばならないとみなしていました。「性即理」、外的な「理」を学ぶと同時に、内的な理である「性」を極めるという考え方です。

一方、陽明学では、「性」も「情」もひっくるめて、「心」そのものが「理」であると定立しています。つまり、「理」は自分の中に、すでにあるということです。

朱子学「理」は「人間」よりも絶対優位
陽明学自分の「心」そのものが「理」であるので「人間」が優位

ということで、朱子学では、万物の理を窮めて知識を拡充することが修養の方法ですが、
陽明学では、わが心に理があるとし、その理をもって自分を実践的に奮い立たせることが、自分を磨く修養の方法となります。

<その二 知行合一>

「知ること」と「行うこと」は一体のもの、という教えです。

知は行の始め、行は知の成るなり。
(知ることは行うことの始めであり、行うことは知ることの完成である。)

『伝習録』のなかの、王陽明の言葉です。

実際に体験しないと分からないというのはありますよね。例えば、ずっと南国暮らしで雪を体感したことのない人にとって、いくら知識をためても、雪に関する知の完成には至りません。だけど、雪について聞き知った段階で、その南国暮らしの人間は、雪を体感し、真の知を得るかもしれないというスタートラインに立っています。心が動いただけでも行い、ともいえるのです。
知ることと行うことを分離せずに、この一連の流れを全体として捉えることが大切ということです。

<その三 良知>

「良知」とは『孟子』に出てくる言葉を元にした考えで、人間が心の内にもつ先天的な素晴らしい素質です。
人間の心は理そのものであるのですが、意識に上る段階で善悪がせめぎ合ってしまいます。そこで善を見極めるのが良知で、良知をしっかり発現すれば、人欲は吹き払われるというのです。

「知行合一」の考え方では、知ることと行動することは一体です。「良知」も同じで、善い行いがしたいな、なんて心に浮かんでくる良知を認識しているだけでは、良知に至ったとは言えません。実践してこそ良知に至るのです。
知行合一によて良知に至ることを、「至良知」といいます。

ですが、「良知をしっかり発現する」などと言われても、自分の中の小悪魔や怠け者をかき消すのが難しい・・・人間ですものね。

「良知」の発現、それを継続させていくには、「」が大きな支えになると、王陽明は言っています。
「志」とは、第一に、しっかりと目標を定め、第二に、その目標に向かって進んでいく意欲、この二つです。
「志」があって初めて行動ができるようになり、自分を見失わない指標になります。

<その四 事上磨錬>

自分を磨く方法は二つあるといいます。
1.古典を読み、歴史に学ぶ
2.毎日の仕事や人付き合いの中で学ぶ
知識の獲得と行動ですね。自分を磨くということに関しても、「知行合一」がいえるわけですね。
どちらも大切なのですが、陽明学では、この2つ目を「事上磨錬」とよび、重要視しています。頭でっかちの書物の知識だけでなく、実際の経験や苦労を重ねることで、もっと自分を磨くことができるということですね。ですが、知識が足りないと、視野が狭くなりがちなので、この2つのバランスが大切なのでしょう。

仕事にしろ学業にしろ、マンネリ化して怠惰に流されがちですね。常に問題意識を持ち、意欲を燃やして取り組む、苦労は自分の糧になるということを心に留めておくことが必要ですが・・・。私も怠惰に流されがちですよ。難しいですね。この難しい事上磨錬を貫くにあたって、3つのポイントが挙げられています。

1.根本をしっかり把握してかかること
2.自分にはあくまでもきびしく、わずかな疑問も残さないこと
3.せっかちに効果を期待せず、一歩一歩着実に歩むこと

<その五 万物一体の仁>

『伝習録』のなかの、王陽明の言葉です。

天地萬物、人と原是れ一體 ” (天地万物は、人間と本来一体のもの

万物の根源は同じで、この世の中のものすべてを一体とみなす思想です。一体なのだから、他者の苦しみも自分の苦しみとなります。よって「良知」は個人の中に留まるものではなく、社会的実践へと向かいます。そういった心を「万物一体の仁」といいます。
こういった考え方に自分を満たすことができたら、行動へと駆り立てる情熱の源泉力になりそうですね。

<その六 抜本塞源論>

抜本塞源論」とは、根本から悪の根源を断つという意味です。

学問や修養の目標は、自己の内なる良知を発現することにあります。目先のことに流され、目標を見失い、功利に流れてしまう・・・そのような状況を根本から正しましょう!ということです。

<まとめ 陽明学の神髄>

1.人間は心の中に先天的にある素晴らしい素質、「良知」を持っている。より意識の高い人間を目指すには、常に「良知」の発現をはかって修養をつとめければならない。継続には、「志」を打ち立てる。

2.「良知」の発現において、知ることと行うことは一体でなければならない。自分を磨く際も、仕事における実践的な経験が重要になる。

3.「良知」は、万物と人間は本来一体のものとする「仁の心」であり、他人の苦しみも自分の苦しみである。なので「良知」の発現は、自分だけの修養にとどまらず、社会的実践へとつながる情熱を生み出すことになる。

「良知」を発現し、とにかく行動しろ!という具合でしょうか。
言葉ばっかりで、なかなか行動に移せない・・・なんて時には、これを読み返そう!などと思いました。

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