「8月21日『フォルトゥナの瞳』BD&DVD 発売」という広告を街中で見かけました。ついこの間劇場でやっていた気がするのに、もうDVD出る時期なんだなー、早いなー、なんて時の流れの速さに恐ろしくなりました・・・。私は劇場では見ていないんですが、小画面だけど飛行機の中で見たので、感想まとめてみます。

あらすじ(公式サイトより):幼少期に飛行機事故で家族を失った【木山慎一郎】(神木隆之介)は、孤独に仕事のみに生きてきた。しかしある日、「死を目前にした人間が透けて見える能力」―フォルトゥナの瞳―を持っていることに気づき、自分の力に苦悩する。そんな時、偶然入った携帯ショップで【桐生葵】(有村架純)に出会う。自分に夢や自信を与えてくれる彼女に心惹かれ、孤独だった慎一郎の人生に初めて彩りが生まれる。互いに惹かれ合う2人は幸せな日々を過ごしていくが、それもつかの間、突然街ゆく人々が次々と透け始めてしまう。そして、葵までもが…

あらすじを読むと、少しサスペンス感のあるお話のようですが、映画の前半で、大体、結末が想像できてしまう感じなので、そういった意味でのドキドキ感はあまりありません。「起承転結転結」というような流れなんですが、この2回目の「転結」もそこそこ想定できる感じなので、「ふーん、やっぱりそうか」とあまり驚かないです。

ですが、これ、作り手側が、ワザと分かりやすくしてるんじゃないかな?と思うんですよ。
行き先が分かる分、リアルタイムで見る側は考える余裕を与えられるし、どっぷり映像の空気の中に浸れる・・・そんな感じです。

だって、三木孝浩監督の映画って、そのお話の世界感が広がっていくような透明感のある映像が美しいじゃないですか。(まあ、私は、『陽だまりの彼女』と『ホットロード』しか見てません・・・けどね)
この映画もですね、神木隆之介 × 有村架純っていう、とってもかわいいカップルが、神戸の街のあちこちでデートする場面なんて、これ以上素敵なデートはないだろーっていうぐらいキュンキュンさせる綺麗な映像なんです。そこだけでも何回も見たくなるような!

それにしても、死を目前にした人が分かってしまう・・・って、とてもしんどいだろうな、と思いますが、その能力を、このお話では「フォルトゥナの瞳」と名付けています。
「フォルトゥナ」っていうのが何なのか、この物語を深く味合うには、そこの理解が大切なような気がします。

「フォルトゥナ(fortuna)」とは、ローマ神話の「運命の女神」です。運命の輪を持ち、運勢のうつろいやすさを象徴する不安定な球体の上に乗っています。

「運」を意味する英語の”fortune”の語源であり、イタリア語やスペイン語では、”fortuna”という言葉がそのまま使われています。
運は運なんですけど、fortune や fortuna という言葉には、「幸運」というポジティブさを表す意味も含まれ、神話に登場する女神フォルトゥナは、人々に幸運をもたらし、だけど移ろいやすく、チャンスをもたらすのは一瞬、見逃せばあっという間に過ぎ去っていく、そういう神様です。

この映画の主人公の得てしまった能力は、「死を予期する」能力であり、フォルトゥナというより、ローマ神話で言ったら、運命の糸を断つ女神「モルタ(morta)」の瞳と言った方が的確のような気がします。

それでも、この映画のタイトルは『フォルトゥナの瞳』となっています。あえてフォルトゥナというところに作者(百田尚樹原作)の意図するところは 、やっぱり「恵まれたの能力」であると思うのです。主人公の持つ能力が、幸運をもたらす女神フォルトゥナなのものならば、それは「愛する人の死を予感する悲しい能力」ではなく、「誰かのために自身の生を捧げられる選択肢のある恵まれた素敵な能力」であると捉えられるんじゃないかと思いました。

女神フォルトゥナはすぐに去ってゆくもの。チャンスの時間は少なくて、あまり考える余裕をくれません。人を救えるチャンスも短い時間なのです。おたおたと考え込んで、そこで動かなければ女神は立ち去り後悔する、苦しくなるわけです。そのような瞳を持ったのも運命。その瞳を幸運ととらえて、最終的には受け入れて、精いっぱい生きる。そんな主人公の生き方が素敵だな、と思いました。

どんなことも、その人の捉え方次第なんだと思います。目の前に現れたものを不運と捉えるか、幸運と捉えるか、考え方次第というのもあると思います。逆境だって自分を育てる経験と捉えることが出来れば、それは機会に変わります。私なんて、日常的に不平不満ばかり言っているので、周りに溢れている幸運も、そうと捉えることが出来ず、速足で次々と逃げていってしまっているのかな、なんて思いますよ。
「フォルトゥナの瞳」って、結局、「幸運を捉えることのできる瞳」というふうに、言い換えられるのではないかと。

この映画、ラストが泣けるー、といわれてますが、私は泣くというより、ちょっと勇気をもらったような気がしました。
死んだように生きるのなら、信念を持って死んで生きる、それもアリなんだと思います。

カテゴリー: Film