あけましておめでとうございます!(今更ですね 笑)今年ものんびり更新していければ、と思っております。


昨年末に、ウィーンに行ってきました。

だいぶ前に知人から、フンデルトヴァッサーの『クンスト・ハウス』という建物の写真集を貰って、いつかウィーンに行くことがあったら見たいな、とずっと思っていたんですが、今回ようやく見ることができました!

『クンスト・ハウス』(Kunst Haus) は、ウィーン出身の芸術家フリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサー (Hundertwasser) の絵画作品などを展示する美術館なのですが、その美術館そのものが、フンデルトヴァッサー自身によってデザインされています。

この夢の世界から出てきたような建物、19世紀の静かな街並みの中にあり、異次元の雰囲気で目立ちながらも、矛盾しているようですが、その中にじんわりと馴染んでいる感じなんですよね。不規則な曲線に覆われながらも調和を感じるし、見ているだけでも楽しい気持ちにさせてくれる建物です。


ここは元々、木材家具工場で、こんな外観だったらしいんです。見違えるような変身ぶりですね。人と家と自然の共存という哲学の下、フンデルトヴァッサーの世界観を体感できる空間へと改築されました。

壁に貼られたタイルの描く線は、不規則な緩い曲線で、これは、自然の中には真っすぐなものはない、ということでなんだそうです。計算されつくしたクラシックな均衡の美の中に感じる神々しさとは真逆を行く、あるそのままを受け入れる溶け込むような穏やかな調和、そんな世界観です。

裏庭、屋上、バルコニーには植物が生い茂り、それもこの建造物の一部のような存在となっています。

私の持っている写真集には、それぞれのパーツのことが書かれているのですが、そこにもフンデルトヴァッサー独特の思想が反映されて面白いです。写真集が英語なんですが、混ぜこぜで済みません。まとまりありません。いつかちゃんと訳します。

窓について
“窓の独裁権と権利”
“Some people say houses consist of walls. I say houses consist of window. When different houses stand next to each other in a street, all having different window types, for example an Art Nouveau house with Art Nouveau windows next to a modern house with unadorned square windows, follows in turn by a Baroque house with Baroque windows, nobody minds. But should the three window types of the three houses belong to one house, it is seen as a violation of the racial segregation of windows. Why? Each individual window has its own right of life…”
というとこから、窓の種類という話だけでなく、種族間の壁だの、人種差別だの、やたらと話が広がっていくんですが・・・。アパルトヘイト的な思想は、もう、そこらの建物の窓に縮図化されている!?ともいえるそうで、彼的には、それを打ち壊す必要があるんだそうです。それぞれの窓にはそれぞれの権利があり、独自でいいのだと。
クンスト・ハウス自体は、元々あった建物のリノベーションなので、窓の形自体は全て同じなのですが、それぞれの窓に様々なデコレーションが施され、タイルの囲み具合も同じものは二つとない、といった具合ですね。


柱について
フンデルトヴァッサーの建造物には、飾り柱がとても多く、艶やかな陶器で装飾され、どれも個性的でカラフルです。
“Standing next to a pillar gives a person the good feeling of standing next to a tree. A pillar must be radiate of the rain and the moonlight of its own accord.”
雨も月明かりも自信に取り込みそれと一体化する感じ・・・とてもロマンチックですね。

床について
クンスト・ハウスの床は、あちこちで緩やかに波打っています。
“The flat floor is an invention fo the architects.”
建物の中での平らな床というのは当たり前のようですが、そうですよね、言われてみればそれは人工的なものです。 自然界の中には完全に平らな地面ってそうそうないですものね。人は五感をバランスよく使うことでよりよい状態でいられるそうで、自宅だろうとオフィスだろうと、手で、足で、地面の波うちを感じようよ!と言っています。
“The uneven floor becomes a symphony, a melody for the feet and brings back natural vibrations to man.”

建築の存在について
“第3の皮膚”
“Man is surrounded by three layers, his skin, his clothes and walls of building.”
この考え方で言えば、さらに町が続き、文化圏が続き、人は何層にも皮膚に包まれていると見るのも面白いですね。その皮膚が呼吸をして外と中を繋いでいきます。
“Clothing and walls of buildings have in recent times undergone a development which is no longer in keeping with the individual’s natural requirements.”
“Windows are the bridge between inside and outside. The third skin is interspersed with windows as the first one is the pores. The windows are an equivalant of the eyes.”
これは少し日本的だなと思いました。日本伝統建築ではこのpore(毛穴)はずーっと大きいですけどね。
彼の2番目の奥様は日本人だったそうです。彼女もアーティストで、ミュージアムショップにお二人で着物姿の写真がありました。
Hundertwasser はドイツ語で、「百の水」という意味なのだそうですが、彼はそれをそのまま日本語名として「百水」という署名をしている作品もあります。

“Paradises can only be made with our own hands, with our own creativity in harmony with the free creativity of nature.”
ググっとくる言葉ですね。


クンスト・ハウスには、絵画以外に、彼の作品の建築モデルがいくつか展示されているのですが、その一つ『シュピッテラウゴミ焼却場』は、ウィーン市内にある実際に稼働しているゴミ焼却場です。私は見に行く時間がなかったのですが、シュテファン大聖堂の塔に登った時、煙を黙々挙げているこのゴミ焼却場の姿が、遠くに小さく見えました。

とてもゴミ焼却場にはみえない、御伽噺の中から抜け出してきたような建物ですね!

このゴミ焼却場、大阪市が気に入ったらしく、大阪にもこれに似たフンデルトヴァッサーによるデザインの『舞洲ゴミ処理場』があります。(大阪では税金の無駄遣いと批判もされたという話も聞きますが 笑)大阪の方は、内部も見学もできるようなので、いつか行ってみたいなと思います。

それから、ログナー・バート・ブルマウ・スパの模型もありましたが、これも素晴らしい!地面と屋根が区別なく連なっていく感じ。自然の中に溶け込んでいます。こちらもいつか訪れてみたいなと思いました。

クンスト・ハウス・ウィーン (Kunst Haus Wien – Museum Hunderwasser)
Untere Weißgerberstraße 13
A-1030 Wien
www.kunsthauswien.com